「オレがライムを始めたのは80年代初頭のこと。ちょうどRun DMCやCurtis Blowなんかが盛り上がってたころかな。ダチのJDと一緒にライムしてたんだ。彼らの曲やリリックをつかったり、オリジナルをまぜたりしてね。もちろんStreetで起こったことをライムに取り入れたさ。86年から89年の間、オレはムショに入っちまってね。で、ムショから出た頃のことなんだが、JDがN.W.A.を脱けたばかりのICE CUBEのアルバムに参加するって言ってNEW YORKに行っちまったんだ。それがPUBLIC ENEMYとのレコーディングだったのかな〜、オレはPUBLIC ENEMYの大ファンだったから信じられなかったぜ!あいつは俺と違ってまじめにライムに取り組んでいたからな。あの時は本当にうれしかったよ。それからCUBEの1stアルバムのフォト・セッションがあるからってJDがオレのことを呼んでくれて、それに参加したんだ。CUBEに「俺のいとこだぜ!」って紹介してくれてね。Priorityにいって一日中フォト・セッションしてたぜ。CUBEはPUBLIC ENEMYや他のDEF JAMのアーティストとニュー・オーリンズへツアーに回ることになってたんだけど、オレにも参加しないかって声をかけてくれてね。でもアルバムが出る前だったから誰もCUBEのソロの曲なんか知らなくてさ、出た時はスゲェブーイングだったんだよ。あれは哀しかったな〜、これは89年か90年くらいの話だ。でもおかしなモンで、その後すぐにリリースされたCUBEのアルバムはプラチナムを獲っちまったんだよな。その後はCUBEも順調にアルバムをリリースし世界的に有名になったよな。
もちろん俺たちにも気を使ってくれてアルバムをリリースさせてくれるという約束もしてくれたんだよ。それで92年にオレらDA LENCH MOBは『Guerillas In Tha Mist』を出せた。このアルバムは3週間でゴールド・ディスクになったんだぜ。全ては上手く行って、オレらはヨーロッパにもツアーに出てあいつらに食らわせてやったぜ!94年くらいまでは順調だったよ。でも知ってのとおりJDが殺人容疑で捕まっちまってさ。1993年から入ったきり、ヤツはまだ出てきてないんだよ。オレらは西海岸のPUBLIC ENEMYみたいな感じで活動してたんだけど、お偉いさんたちは俺たちが気に入らなかったみたいで色んな圧力も来ちまったんだ。でもオレは誓ったんだ、オレらのコミュニティーやゲットー、アメリカ中の貧困層なんかの発言できない、もしくは発言することを恐れてる連中のために声を発していこうってさ。それから多くの出来事が起きたよ・・・もちろん、俺たちのスタイルを変えないようにがんばったさ。だけどLENCH MOBの連中はバラバラになって個々の活動を始めちゃって、CUBEにも色んなことが起きちゃったし。そしてみんなアンダーグラウンドな活動に拠点を移すハメになっちまったんだ。確かにそれから今までオレらの声は、メジャーの、ワールドワイドなモンのように聞こえる事はなかったと思うよ。でもオレは更にタフになり、ビジネスも学んだんだ。アーティストとしてだけでなくディストリビューターとしてね。だからオレは神に感謝してるよ・・・こんなことが無かったらオレはビジネスを学んだりすることは無かったんだしさ」
■どんな子供だったんですか?
「貧しくはなかったよ。中流かな。いい服もきてたし、バッグももってた。家もあったしね。オヤヂはいなかったけど生活するために、ママが何でもやってくれたからね、ドラッグ売買と売春以外は。ママは強かったよ!男たちにも引けをとらなかなったね。ケンカはよくしたなぁ。3歳の時のケンカもおぼえてるぜ。でもケンカをしてそだったから今のタフな俺がいるんだよ。ママは新し物好きだったな。俺はコンバースのシューズを2、3足持ってたぜ。大人になんかなりたくなかった。70年代はすばらしい時代だよ。今でもよくあのころを思い出すよ。もちろん成長しないわけはないからいろんなことをやったさ。たとえば” The Disco Lockers”っていうダンス・グループを結成して毎晩踊ってたよ。ダンスコンテストで優勝したこともあるんだぜ。でも、Gang Bangingをはじめちまったよ。それはダンスでは学べないことをスマートに吸収するにはもってこいだったんだけどね。だけどGang Bangingはたくさんの俺たちの仲間を天国へつれてっちまった。1年に最低でも3回葬式があるんだぜ?友人や仲間をストリートでの殺し合いや、カラーでの殺し合いで失うことが本当に残念でならないよ。」
■影響を受けたアーティストは誰ですか?
「JDや兄貴からは影響を受けたよ。Curtis BlowやRun DMCからもね。一番影響をうけたのはやっぱりRun DMCかな。Run DMCのファンだったしね。」
■ Ice Cubeとあなたの関係は?Cubeとは現在もコンタクトをとっているんですか?
「現時点ではコンタクトはしてないよ。オレらがやり残してる仕事がまだあるけど、今は機会が無いんだ。それにDa Lench Mobにもいろいろあったしね。でもいつかそんな機会が来ると思うよ。当時は怖いものなんて何もなかったね。俺たちが知らないことなんて何もなかったと思ってたし、そう、神以外はね。金の稼ぎ方をしってるといろいろと問題がおきてくるだろ?俺だけじゃなくて俺の家族にも影響を与えたんだよ。俺は全部のバランスをとろうとしたけどね・・・Cubeは変わっちまったんだよ、メジャーになってからね。俺たちは抑圧された一部の人種、黒人、チカーノ、白人もだな、そのことについてのことを得意としていたんだぜ。俺たちはフッドにいってドミノをしたり仲間たちのママの手料理をたべるんだ。だけどメジャーなやつ等はほとんどそんなことしたことないんだぜ?そいつ等のファンを喜ばすこと以外にはね。つまり、今はCubeとはコンタクトはとってないってことだ。」
■ではLENCH MOBクルーとの現在の関係はどんな感じなのですか?
「DA LENCH MOBの連中とはお互いに連絡をとってるよ。T-BONEはヤツに起きた悲劇から立ち直ってないんだ。ヤツは結婚して2年しか立ってないワイフを亡くしたんだよ・・・親父もいなくなってさらにほかの大切なものまでなくしちゃうなんてね・・・オレのブラザーに幸福が訪れるとこを常に祈ってる。他のみんな、オレやDAZ、CHILLY
CHILL、THREI、JDなんかはまた一緒にやろうって話をしてるよ。UNITED LENCH MOB FRONTって名前を付けてね。オレら、LENCH
MOBクルーはWU-TANG CLANみたいだったよ。20人以上も構成員がいてさ。で、オレとT-BONEとJDでグループを組んで、DAZ,はソロをやって、YO-YOもソロをやって。KAMやDEL、K-DEEなんかもソロを出した。マジでデケェ集団だったよな、LENCH
MOBの繋がりは特別なんだ。俺たちはどこまでも突き進むぜ。俺たちはディストリビューションのことも、マーケットのことも全部わかってるんだ。それはアーティストであることと違って、俺たちはビジネスマンだってことさ!ただ、俺たちはJDのジョイントをまってるんだ。SIR
JINXだってKAMの次のアルバム「Self」でプロデュースしてるんだぜ。オレもJINXには次のプロジェクトで幾つかトラックを頼もうと思ってるんだ」
■ Shortyという名前の由来を教えてください。
「Shortyはそのまんま略語だよ(笑)Short Dogのね。Short Dogは俺のGangとしての名前さ。ストリートのやつ等はみんな知ってるよ、アーティストとしてのShortyのこともね。でもみんなShortyは短すぎるっていったよ。それにToo Shortとかぶるってね。でも、俺はそんなの気にしてなかったよ。俺はGang Bangin‘を続けていたShort Dogと相反する存在としてShortyを名乗ることに決めたんだ。Shortyと名づけたことでShort Dogがだんだん落ち着いていったよ。昔は無茶やったけどね。今は、昔に戻ろうとも思わないし、人生について考えるようにしてるよ。」
■どのようにDa Lench Mobは結成されたのですか?
「・・・ぶっちゃけCubeが作ったんだよ。CubeがN.W.A.にいたときに俺たちはDa Lnech Mobを作ろうかって話をしてたんだけど、Eazy Eがよく思わなかったんだろうね。彼はほかにN.W.A.の舎弟グループを作ろうとしてたしね。でも、CubeはずっとN.W.A.を抜けることを考えてたんじゃないかな・・・だからCubeがN.W.A.を抜けたときにDa Lench Mobは始まったのさ!」
■DA LENCH MOBとして活動していた頃の話を少し聞かせてください。
「DA LENCH MOBの頃だって?あれはワイルドな時代だったよ・・・。色んな国にもツアーで回ったし、ただゲットーで毎日起こってることをね・・・みんなオレらのことをクレイジーだって思っただろうな。“Lench Mob Niggas is the Craziest”って感じさ。俺たちは自分のことなんて何一つ知らなかったし、俺たちは世界中で一番Gang Bangin’が激しいLAからきたんだぜ?俺たちは常に”I don’t give a fuck”って感じだったよ。まぁでもDA LENCH MOBの頃ってのは楽しいこともあり、つらいこともあったよ。モチロン、ツアーなんかは楽しかったけどな。そのつらさと俺たちにつらい思いをさせたやつ等のおかげで俺は強くなったけどね。」
■現在のDA LENCH MOBはどのような状況なのでしょうか?
「みんなソロ活動に専念してるよ。オレらはアーティストとしてだけでなくビジネスマンとしてもデカイことをやってみようとしてるんだ。オレ自信はBOW TIE ENTERTAINMENTってのを立ち上げて自分の作品、映画やTV番組の制作なんかもやっている。今の状況はバッチリだぜ。そう、Yo-YoやJinx、Chillも同じくらいにね。俺たちはまだ成長しているのさ。"UNITED LENCH MOB FRONT"としての活動の準備も整ってるし、あとは若いヤツなんかにもチャンスをあげたいね。」
■ソロ作『Short Stories』について教えてください。
「オレのストーリーってことさ。これたちが経験してきたこと、そして俺たちが感じたものさ。このアルバムはPOLAR BEARの力が無きゃ出来なかったね。彼のトラックだけでなくアーティストとしても絶大な信頼を置いていたんだ。俺たちは全身全霊をつぎ込んでこのアルバムを作った。ここでオレはアメリカという国で毎日奮闘している生き様、黒人社会で起きてることを語っているんだ。テレビがなくてラジオしかなかったような時代に戻ったつもりで手作りで作り上げたんだ。俺はこのアルバムですべてを語りたかった。ストリートで感じられることすべてを。だから、このCDを目を閉じて聞いてみなよ。アルバム制作も楽しかったし、聴いてくれた人に何かしら影響を与えられるんじゃないかな」
■ アルバムのコンセプトはありますか?
「コンセプトねぇ・・・すべてを物語にすることかな。最初から最後までを一つの物語にすることと同時に、一つ一つが単独のシーンやショートムービーのようにできていることだね。」
■なぜDa Lench Mobの”Buck The Devil”をリメイクしたんですか?
「何度もいうけど俺は俺たちの敵を憎んでいる。心底嫌いなんだよ。わかるだろ?”Guerillas in The Mist”に入れた”Buck The Devil”はまじで強烈だった。俺はみんながその曲を聞いてくれたと強く信じてるよ。だから俺はもう一度同じエネルギーを注ぎたかったんだ。まず、最初に誰と共演するか考えたよ。で、思いついたのがRBXだったんだ。RBXは強い信念を持ってるんだよ。Dre名義になってるCronicを半分作ったんだぜ。RBXはWestCoastのアーティストのなかでも俺のお気に入りの中の一人だよ。彼は正当な評価を受けていないけど、俺にはそんなこと関係ないからね。やつはWestCoastの中でももっともしびれる男さ!彼をヴィンセントに呼び出したんだ。この曲をリメイクするにはRBXの力を借りないとできないってね。マジでそう思ったんだぜ。RBXはコンセプトを聞いてきたよ。まあ、二つ返事でOKをもらったけどね。そして、俺のクルーの Rosey Cross, Little Chalk, GIたちを集めて、もちろんプロデュースはPolar Bearだよ。俺はこの曲は歴史に残るものになると思ったよ。聞いただろ?ものすごくパワフルで、力強いメッセージを。世界中の人々の頭に刻み込まれると確信したよ。」
■ オールタイム・フェイヴァリットな曲/アルバムは何ですか?
「アルバムだったら『It Takes A Nation Of Millions To Hold Us Back』(PUBLIC ENEMY)だな。実はちょうど運転中に全部聞いてきたんだ。気分が落ちてる時なんかに聴くとバッチリだぜ!曲ってのは多すぎて挙げられないな・・・オールディーズなんかも好きだし。次の機会までに答えを用意しとくよ。でも挙げられるか解んねーなー」
■今後のプランがあれば教えてください。
「オレの会社を次のステップに上げるってことかな。今はBOW TIE ENT.で幾つかプロジェクトを抱えてるんだ。ひとつは映画で、『Made In Amerikkka』ってタイトルだ。あとはKAMと『Warning』ってアルバムを録っていてこれは夏くらいには出したいよ。あとは話したとおり、"UNITED
LENCH MOB FRONT"だろこれは9月ごろに、そしてオレのセカンド・アルバムも作ってる最中なんだ。まだタイトルは決めてないけどね。『New
World Disorder』っていうのが第一候補かな。不動産業や株にも挑戦しているしね。俺自身のレベルアップが最大のプランだけど、今年は今言ったようなプロジェクトに集中したいね。それからもっとグローバルに活動するよ。」
■Westside Connectionのニューアルバムは聞きましたか?
「あぁ、もちろん聞いたよ。正直に言うと1stにはぜんぜんおよばないな。でも勘違いしないでくれよ、Cubeと俺の問題は解決してないけど、そういう意味での評価じゃないからな。もちろん彼等の才能はすばらしいよ、一生懸命やったんだろうけどもっとよくなったんじゃないかな。」
■ では最後に日本のファンにメッセージをお願いします。
「メッセージか・・・オレらのプロジェクトに注目しといてくれよ。オレのサイト、www.dalenchmob.comもチェックしてくれ。色んなとこへ行ってマイクを握りたいよ。One Love・・・」