A:「気にすんなよ!One Love to G-HOUSE!」
■あなたのことをよく知らない日本のファンのために自己紹介してくれる?
A:「俺はBayAreaからきたAssassinだぜ。あの伝説のTupac Shakur(Real Bad Boyz)やZAPのRoger(Can We Do It Live)と共演したし、12枚のインディペンとタイトルをリリースしたぜ。Assassin Hitworks、Born and Raised in The Bay, Fillmoe to San Joseを知ってるだろ?」
■どんな子供だったの?
A:「ガキのころか・・・他のやつ等と変わらないごく普通のアメリカのティーンだったよ。ブレイクダンスやグラフティはやったぜ。俺は真のHIP HOPの時代から出てきてるんだ。」
■どんな音楽をよく聞いたの?
A:「オールディーズを聴いて育ったな。Cholo Oldiesって言ってたよ。あとはFUNKはたくさん聞いたぜ、ZAPPやParliamentとか。SoulもSpanish Latin Soulもね。俺がHip-Hopにはまったのは12か13歳ぐらいのときでSuger Hill GangとBolwflysがラップしてたっけ。」
■一番最初に買ったアルバムは何だったの?
A:「最初のアルバム・・・ムムム。ちょっと待って考えさせて・・・たぶん、Sugar Hill Gangの”Rappers Delight”だったはずだよ。」
■どんな風にラップをはじめたの?
A:「最初はDJだったんだよ。ラップは俺にとって三番目なのさ。最初はDJ、次はプロデューサー、そしてラップって言う順番さ。」
■何がきっかけではじめたの?
A:「俺がプロデュースしてたときのアーティストが俺が欲しかったものを持ってなかったんだよ。だから俺はラップに挑戦したんだ。それからだね。クールなテープをつくって配ったんだぜ。AssassinはBayからうまれたぜ!」
■いつごろ?
A:「90年代初めさ。本気で自分のフロウに取り組んだのはね。でも、DJは80年代初めからやってたぜ。」
■2PACとの出会いは?
A:「俺がPACと会ったのはDigital UndergroundがSan FranciscoでKut Master Kurt(今はKool KeithのDJ)とコンベンションをしてたときだったな。その後、LAのスタジオで彼の弟のMopremeとBig Stretchと会ったんだ。10年も前の出来事だけど、今でも昨日のことのように思えるよ。PACが”DEAR MAMA”や”FUCK THE WORLD”、”ME AGAINST THE WORLD”をつくってるときに一緒にいたんだぜ。」
■”Real Bad Boyz”はどうやってつくられたの?
A:「あれはさっき言ったスタジオに俺たちがいたときに作ったんだ。Pacを隣の部屋の俺のセッションに連れてきて彼に頼んだんだ。知ってるだろ?PACが曲をあっという間に作っちまうことを。あのヴァースを15分で作ったんだぜ。次の15分ではもう完成していたぜ。」
■ヴァレーホからサクラメント、そしてサンホセに移動したみたいだけど。
A:「別に音のために各地を転々としてるわけじゃないぜ。俺のマネージャー、そのときはRich Gibsonが安くていい部屋を紹介してくれただけだよ。彼は腕利きの不動産業者だからね。それとVallejoから移ったのは俺が住んでたOhioはMillersvilleで有名だったのが理由かもしれないね。北Sacramentoは俺の音楽に多大な影響を与えてくれたよ。だからいまのAssassinがいるんだ。でも、ガキのころはSan Joで学校に通ってたよ。」
■地域を移ることであなたの音楽に影響を与えるの?
A:「イエー!移ることはマジで俺の音にプラスに働いたぜ。でもそれを狙って引越したわけじゃないんだ。たぶん俺のそのときのマネージャーは狙ってたかもしれないけど。俺は若かっし、ただスタジオに行きたかったし、パーティーをして最高の時間を過ごしたかっただけさ。たとえドコにいようとね。ドコであろうとだよ。引越していろいろなとこに住んだ経験は俺のスタイルと音を作ってくれたよ。今はそう思うよ。それに周りの環境が音に取り込まれるんだよ。誰が周りにいようとどこにいようとそのときには。俺が日本に行っていたとしても日本からの影響を取り入れていただろうし、悪さもしただろうな。」
■GETLOWのシャツを着てるけどJT The Bigga Figgaとの関係はどうなの?
A:「もちろん良好さ。」
■JT The Bigga Figgaと”Fillmoe 2 San Jo”をつくったのはどういうきっかけで?
A:「彼がSean-TとG-Man Stanのスタジオでレコーディングしているとき、俺はBig Ice(Norway)といたんだけど、JTが”Fillmoe to Long Beach”,”Fillmoe to Detroitを持ってるのを見たんだ。それで俺から「”Fillmoe 2 San Jo”をやろうぜ!」ってアプローチしたんだ。俺はSan Joseにもっと有名になってもらいたいからね!これでFillmoeとJTとSan Joseはつながったよ!」
■ニューアルバムでDaryl Hall & John Oatesの”I Can’t go for that”をカバーしてるけどそういった白人のロックも聞くの?
A:「モチロンだよ!Darry Hall & John Oatesは大好きさ!ママがよくライブに連れて行ってくれたしね。彼らは俺の目には伝説に映るよ。彼らの音楽はゴスペル風味のRock’n’Soulだね。”I can’t go fro that”みたいな曲は大好きだし、今でも聞くよ。」
■今年、日本に来る予定だったんだよね?なんでこれなかったの?
A:「ああ、行く予定だったよ。俺は全ての日本のファンに謝らなくっちゃいけないね。東京と京都、他にもたくさんのクラブにブッキングしていたのに。行けなかったことはマジでむかつくぜ。だけど、アメリカ政府が俺がアメリカから出ることを許してくれなかったんだ。パスポートを取らせてくれなかったんだよ。過去の彼らへの行為によってね。日本へはいけないんだ、その問題を解決するまでは。」
■日本についてどう思う?
A:「I LOVE JAPANだよ。ディープな俺のファンがいるだろ?いつも俺をサポートしてくれてる。日本のファンに知らせたいんだ、俺のせいでがっかりさせたんじゃないって。アメリカ合衆国政府が俺たちをへこませたんだ。」
■寿司は好き?
A:「I LOVE SUSHI!日本にいける夢がかなったらすぐに寿司を食いに行くよ!寿司!スシ! SUSHI!」
■一緒に共演したいアーティストは?
A:「日本のホットなラップグループだな。」
■ナゼ?
A:「実際は日本のホットなラップグループは知らないけど、もしそういう奴等を俺が見つけたら絶対にやるぜ!」
■好きなアーティストは?
A:「2PAC, Grandmaster Flash, The Furious 5だな。」
■理由はある?
A:「かなりの影響を俺に与えてくれた。彼らは自分自身の表現を何も恐れずにやってのけた。俺はそういったタイプのヴァイブが好きなのさ。」
■お気に入りの曲は?
A:「昔のだと”Real Bad Boyz”だな。でもこれからは”Live Or Die”になるぜ。その中に俺のフェイバリットなトラックが収録されるよ。リリースされたらすぐに教えるぜ。」
■自分のアルバムの中で一番好きなものは?
A:「“HITWORKS”, “Born And Raised In The Bay”が俺のビッグセールスを記録したアルバムだけど、本当にすきなのは”ASSASSIN OUT OF CUSTODY!”だぜ。」
■曲は?
A:「“GROWING UP ON MY BLOCK!”」
■今のGangsta Rapについてどう思う?
A:「OG達を復活させなきゃいけないな。South Central Cartelみたいなさ。そういえば、俺は彼らのニューアルバムをプロデュースしたんだ。それにHAVIKKIの”THE RIMESON”っていうソロアルバムもね。18曲もやったぜ。たくさんの古いアーティストたちが動き出してるぜ!」
■どうやってトラックを作ってるの?
A:「トラックはいろいろなソフトで作ってるよ。REASON2.5、ACIDそれとAKAIのMPC1000もね。PRO TOOLS LE M-BOXはマストだね。」
■近々何か予定はある?
A:「40曲収録のニューアルバム”ASSASSIN Live Or Die”をリリースすることさ!あとはHavikkiのアルバムもね。」
■Kuruptとの新曲が話題になってるけど?
A:「それは“Posted In The Bay / Assassin featuring Kurupt and Don Cisco”だぜ。2005年にリリースするよ。クラブをBangするぜ!それは俺のソロ作”Live Or Die”に収録予定だよ。さっきも言ったようにこのCDは40曲も収録するんだぜ。」
■最後に日本のファンにメッセージを。
A:「いつか、絶対に今の政治的な問題を解決して日本に行くぜ。この問題はアメリカの罠だ。期待しててくれよ!そしてサポートし続けてくれ!この政府とブッシュから自由になったら絶対に日本に行くからな!日本のファン以上に慕ってくれる奴等はいないぜ!本当に感謝するよ。I Love you!そしてすぐにあえるぜ!」